自由とは何か ─監視社会と「個人」の消滅
監視カメラで安心な社会、
「自由な個人」はもう用済み!?
快適で安心な監視社会で「自由」に行動しても、それはあらかじめ制約された「自由」でしかないかもしれない。「自由」という、古典的かつ重要な概念を問い直す。
かつてより快適な暮らしが実現した現代社会。各人の振る舞いは膨大なデータとして蓄積され、“好み”の商品情報が自動的に示される。さらにはさまざまな危険を防ぐため、あらかじめ安全に配慮した設計がなされる。こうして快適で安全な監視社会化が進む。これは私たち自身が望んだことでもある。しかし、ある枠内でしか“自由”に振る舞えず、しかも、そのように制約されていることを知らずにいて、本当に「自由」と言えるのか。「自由」という、古典的かつ重要な思想的問題に新たな視角から鋭く切り込む。
第1章 規則と自由(「個人」の自己決定と法・政治
自由への障害
二つの自由―バーリンの自由論
交錯する自由)
第2章 監視と自由(見ることの権力
強化される監視
ヨハネスブルク・自衛・監視
監視と統計と先取り
監視・配慮・権力
「配慮」の意味
衝突する人権?
事前の規制・事後の規制
規制手段とその特質)
第3章 責任と自由(刑法における責任と自由
自己決定のメカニズム
責任のための闘争―刑法四〇条削除問題
主体と責任)
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