滞日十年 下
かくして日米は戦端を開く
知日派の駐日大使グルーは日米開戦の回避に奔走。下巻は、ついに日米に戦端が開かれ、1942年、戦時交換船で帰国するまでの記録。
【解説: 保阪正康 】
1932(昭和7)年、グルーはアメリカの駐日特命全権大使として赴任する。このころの日本は、世相は暗く、満州事変、五・一五事件、国際連盟脱退と、ひたすら戦争への道を歩んでいるかのようであった。知日派として知られたグルーは、日本の多くの人々と交わり、日米関係の悪化を食い止めるべく奔走する。しかしその甲斐なく、1941(昭和16)年12月、日米はついに開戦へと至ってしまう。本書は、その間の経緯を、当事者のみが語りえる迫真の描写によって、克明に記録した昭和史の一級史料。下巻は、日米交渉行き詰まり、ついに日本の真珠湾奇襲の日をむかえ、翌年帰国するまでを収録。
第5章 一つの世界と二つの戦争(一九三九年十月十日‐一九四一年十二月七日)
第6章 一つの世界と一つの戦争(一九四一年十二月八日‐一九四二年五月三十一日)
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